薬学類のあゆみ
1867慶応3年
加賀藩卯辰山養生所に製薬所と薬圃が付設され、舎密局を置く。高峰譲吉の父精一(元稑)綜理となる。[金沢大学薬学部の起源]
1870明治3年
養生所より医育部門を分離して大手町に加賀藩医学館を開設、製薬所(舎密局)を付設
1871明治4年
蘭医ペア・スロイス着任す。薬学教育の必要を説いたとも言われている。加賀藩医学館附属理化学校を設立(兼六園高之亭跡)し、舎密局を移す。
1872明治5年
4月、藩校閉鎖令で医学館、理化学校閉鎖さる。私立金沢医学館を開設、製薬所も存続。9月、明治天皇医学所に行幸なる。
1873明治6年
3月、金沢病院は県の補助を受けることになる。
1874明治7年
堤従清他数名の薬学専修志願者、入所す。
1875明治8年
蘭医ホルトマン来任す。8月より石川県金沢病院となり、製薬所も存続す。
1876明治9年
医育部門を分離して石川県金沢医学所とし、薬局学科を付設[金沢における体系的な薬学教育の始まり]
処方学、薬物学を含む7教科
翌年、旗善蔵等入学す。
1878明治11年
9月、明治天皇医学所に行幸なる。
1879明治12年
堤従清ら3名最初の卒業生となる。堤従清は医学校助教諭として留まる。
石川県金沢医学校薬局学科と改称
1880明治13年
墺人ローレンツ来任(ドイツ医学への転向)
大井玄洞、独ワイガント著「Lehrbuch der Pharmakognosie」を訳し、「生薬学」を著す。
1881明治14年
石川県金沢医学校製薬学科と改称
1883明治16年
金沢在住薬舗主らにより親睦的学会「鞭草会」設立
薬補検定試験に合格者多数(石川県薬剤師会の発祥)
1884明治17年
医学校が石川県甲種医学校に昇格し、製薬学科を併設
玄洞、「生薬学」2巻を著す。
1886明治19年
石川県薬舗会設立
石薬館建設、薬品検査を行なう。
1887明治20年
納富嘉博来任、製薬学を講ず。
文部省令により第四高等中学校医学部を設置
1888明治21年
前年の第四高等中学校医学部設置に伴い、甲種医学校閉校
石川薬舗会が私立北陸薬学講習所を石川薬館内に設立
1889明治22年
医学部に薬学科追加付設
官立校となり、金沢薬学廃絶の危機を脱す。
1891明治24年
桜井小平太、薬学科長として赴任
生薬、製薬、分析の3教室を置く。
高山基重、製薬学を講ず。
1892明治25年
大手町より広坂通りに移転(四高跡、現中央公園)
(教場の一部、明治村に保存)
1894明治27年
第四高等学校医学部薬学科と改称
1896明治29年
医学部に十全会創立
高山基重、薬学科教授となる。
天然物の化学研究起こる(第1期)。
1897明治30年
桜井小平太、オットー「裁判化学」訳なる。
1898明治31年
高山基重、ヂアスターゼ創製、特許なる。
1901明治34年
金沢医学専門学校薬学科となる(校長 高安右人)。
1912大正元年
金沢薬学会発足
会誌第1号発刊
1913大正2年
高峰譲吉博士、来校し講演す(5月2日)。
1914大正3年
十全記念館落成
1920大正9年
富山薬学校、官立薬学専門学校となる。
金沢薬専の廃止説流布さる。
1923大正12年
関東大震災起こる。
金沢医科大学附属薬学専門部となる。科目は衛生、分析薬化、生薬の3教科
1924大正13年
須藤憲三、金沢医科大学長となり、理論化学と植物学を新たに補強
5教科5教官とし研究を奨励す。
摂政宮殿下(昭和天皇)医科大学へ行啓(11月)
1925大正14年
西村真一郎薬学専門部主事となる。浅野三千三来任(分析学)
再び、天然物の化学研究起こる(第2期)。
卒業生柳沢秀吉、薬学博士第1号となる。
1926大正15年
科目は衛生化学、裁判化学、薬化学、無機化学、物理化学、薬用植物学、生薬学、分析学、有機化学、独逸語の10教科8教官と充実す。
開学祭挙行(学内の開放)
1929昭和4年
9月、薬学専門部校舎小立野に新築成る。木造2階建、430坪
三年生本多豊男らにより学生歌「名無草」生まれる。作詩室生犀星、作曲弘田龍太郎
1931昭和6年
浅野三千三、薬学専門部主事となる。
1932昭和7年
石坂伸吉、医科大学長に就任
1936昭和11年
浅野三千三、学士院賞受賞
祝賀式ならびに金沢薬学会25年記念式典挙行
1938昭和13年
浅野三千三、東京大学教授に転任
1939昭和14年
鵜飼貞二後任専門部主事に着任
戦時色濃厚となる。
1941昭和16年
太平洋戦争始まる(12月)。
1944昭和19年
金薬母学振興会発足
1945昭和20年
太平洋戦争終結(8月)
1947昭和22年
金沢において戦後初めての日本薬学会学術大会開催(約2,000名参加)
金薬同窓会、同時開催(350名参集)
母学大学昇格期成運動盛り上がる。
女子学生2名入学
1949昭和24年
新制金沢大学設置(初代金沢大学長 戸田正三)
金沢大学薬学部発足(初代薬学部長 鵜飼貞二)
三たび、天然物の化学研究起こる(第3期)。
第1回日本薬剤師協会北陸支部学術発表会、金沢において開催
金沢大字薬学部創設記念会、同時関催(全国より同窓生250名参集)
1951昭和26年
金沢大学薬学部研究年報発刊(10年後に廃刊)
1953昭和28年
金沢大学薬学部第1回卒業生出る。
金薬同窓会誕生(会長 三浦孝次)、会報第1巻発刊
1954昭和29年
鵜飼貞二退官、静岡薬科大学長に転ずる。
学部長選挙制実施(2代薬学部長 三浦孝次)
薬学専攻科設置
1956昭和31年
金薬同窓会、図書館を寄付
抗生物質学講座新設
1957昭和32年
5月5日早朝薬学部本館より出火、430坪を鳥有に帰す。薬化、分折、抗生、薬物、衛化の5教室ならびに元素分析室を失う。
校舎復興期成同盟会発足(会長 益谷秀次)、復興5ヶ年計画案なる。
1958昭和33年
新校舎起工式(3代薬学部長 平本実)
1959昭和34年
第1期工事竣工式挙行、鉄筋コンクリート4階建(447坪)完成
薬化、分析、抗生、薬物の4講座を収容
1960昭和35年
第2期工事竣工(442坪)
薬造、衛化、生化、薬剤、生薬の5講座を収容
1961昭和37年
石橋雅義、大学長(2代)に就任
荒田義雄、4代薬学部長に就任
1963昭和38年
第17回日本薬学会(衛生、薬剤部会)金沢で開催
第3期工事竣工(164坪)、中央精密機械室、図書室、薬剤講座、生薬実習室を収容
校舎復興建築5ヶ年計画達成
1964昭和39年
黒野吾市、5代薬学部長に選任
薬学研究科薬学専攻(修士課程)を設置
金薬同窓会を改組し、薬友会発足(会長 黒野吾市)
1966昭和41年
製薬化学科を設置(2学科に増設)
薬学科とあわせ、2学科、13講座制となる。初年度設置は
薬学科:薬化学、薬品分析学、生化学、生薬学、薬物学、微生物薬品化学、衛生化学
製薬化学科:薬品製造化学、製剤学
1967昭和42年
物理化学、薬品合成化学設置
製薬化学科研究棟増築進む(1100坪)。
中川善之助、大学長(3代)に就任
10月28日薬学部創立百周年記念式典挙行、薬友会薬学講堂(60坪)寄付
金沢大学薬学部百年史刊行
1968昭和43年
荒田義雄、6代薬学部長に選任
生物薬品化学設置
1969昭和44年
放射薬品化学、薬草園設置
2学科13講座揃う。
1972昭和47年
高橋幸太郎、7代薬学部長に選任
1973昭和48年
豊田文一、大学長(4代)に就任
1975昭和50年
山本譲、8代薬学部長に選任
1976昭和51年
金沢大学総合移転問題、賛否両論激しく揺れる。
1977昭和52年
薬草園、附属薬用植物園に名称変更
1978昭和53年
金沢大学評議会は法・文・経の分離と城外移転を決定
1979昭和54年
金子曽政、大学長(5代)に就任
藤井澄三、9代薬学部長に選任
1980昭和55年
金大総合移転先に角間地区を決定
1981昭和56年
大場義樹、10代薬学部長に選任
1982昭和57年
金沢大学総合移転候補地取得予算計上
1983昭和58年
五味保男、11代薬学部長に選任
角間移転、学部順決定(法・文・経・理・教育・教養)
1984昭和59年
角間移転、法学部より開始
1985昭和60年
大学院薬学研究科生命科学専攻博士後期課程(3年)を設置
日本薬学会第105年会(組織委員長 山本譲)金沢において開催される。(延べ8,500名参加)
薬友会記念懇親大会、同時開催される(200名参加)。
本陣良平、大学長(6代)に就任
1987昭和62年
大学院自然科学研究科生命科学専攻博士課程(3年)へ改組
花岡美代次、12代薬学部長に選任
1988昭和63年
城外部局(薬学部他)角間移転調査費計上
1989平成元年
大学院自然科学研究科博士課程第1回修了者出る(薬学博士2名、学術博士4名)。
青野茂行、大学長(7代)に就任
1991平成3年
宮崎元一、13代薬学部長に選任
1992平成4年
卒業証書、学位記に変わる。
学士(薬学)、修士(薬学)、博士(薬学)
1993平成5年
岡田晃、大学長(8代)に就任
大場義樹、14代薬学部長に選任
城内部局、角間移転完了
1995平成7年
二階堂修、15代薬学部長に選任
1996平成8年
日本薬学会第116年会(組織委員長 花岡美代次)金沢において関催される(延べ12,000名参加)。
金沢大学薬友会懇親大会同時開催
「金沢大学薬学部130年譜」発刊
大学院薬学研究科に医療薬学専攻課程設置
薬学部大講座制へ改組(薬学科3講座、製薬化学科3講座)
1997平成9年
大学院薬学研究科(修士課程)、大学院自然科学研究科(前期課程)へ改組
1999平成11年
林勇二郎、大学長(9代)に就任
辻 彰、16代薬学部長に選任
2002平成14年
薬学科・製薬化学科を総合薬学科へ改組
2003平成15年
石橋弘行、17代薬学部長に選任
2004平成16年
国立大学法人化、大学院重点化、角間キャンパスへ移転
2006平成18年
6年制薬学科、4年制創薬科学科へ改組
2007平成19年
向 智里、18代薬学部長に選任
2008平成20年
3学域・16学類制に伴い、医薬保健学域薬学類・創薬科学類へ改組
薬学部附属薬用植物園、医薬保健学域薬学類・創薬科学類附属薬用植物園に名称変更
中村信一、大学長(10代)に就任
向 智里、初代薬学系長に選任
2010平成22年
大学院医学系研究科に博士前期課程創薬科学専攻設置
2012平成24年
大学院医学系研究科、大学院医薬保健学総合研究科へ改組
大学院医薬保健学総合研究科に博士後期課程創薬科学専攻、博士課程薬学専攻設置
早川和一、2代薬学系長に選任
2014平成26年
山崎光悦、大学長(11代)に就任
国嶋崇隆、3代薬学系長に選任
2017平成29年
5月20日薬学創立150周年記念式典挙行
金沢大学薬学創立150周年記念誌発行
2018平成30年
日本薬学会第138年会(組織委員長 向智里)金沢において関催される。
2020令和2年
松永 司、4代薬学系長に選任
2021令和3年
薬学類・創薬科学類を薬学類(定員増)と医薬科学類創薬科学コース(新設)に改組
2022令和4年
和田隆志、大学長(12代)に就任
加藤将夫、5代薬学系長に選任